emergence

  • 2012.05.31 Thursday
  • 13:11
もちろんセンスもだが、
もはやそれより、
情感の解釈が生命線。
そしてほんの少しの抑制や、
ほんの一瞬の集中や、
ほんの微妙な修正で音楽は180度変わる。
アザミの綿毛のように神秘的で、
火星探検のように荒涼として、
蝶の羽化のような優雅に張りつめた夜が終わり、
朝のどんよりとした雲はどうやら微笑んでいるらしい。

life in Tokyo

  • 2012.05.29 Tuesday
  • 14:33
明日のためのリハーサルへ、
イメージはずいぶん色彩を帯びてきた。

ずっと東京にいるので、そろそろ旅がしたくなってきた。
江ノ島か、もう少し遠いと伊豆あたりにでも、
雨の高原や湖もよいかもしれない。
静かな場所でゆっくりと音楽のことやら、
英語やスペイン語や、
犬や魚や、過去や未来、
その他のどうでもよいことに思いを馳せるのだ。

どうやら最近はずいぶん健全だ。
多摩川からの風がうっすらと緑に染まっている。

end roll

  • 2012.05.27 Sunday
  • 20:18
拝啓、Cイーストウッド様

つけたTVであなたの監督された「ヒア アフター」という映画が放映されていました。
始まってから1時間以上も経過していたというのに
(そんなに経過していたら、普段ならチャンネルはとっくに変えてしまうのですが)、
何故だか、というより、
やはりと言った方がよいかもしれません、
気が付くと、エンドロールが終わるまで、
月並みな言い方ですが、
すっかり映画の中に入り込んでしまいました。
私は「許されざる者」以来、
あなたの映画に神道的な、あるいは能的な、
つまりは日本の精神性への繋がりのようなものを感じて仕方がありません。
その控え目な語り口や、何気ない背景や、
(無論よい意味で)シンプルな音楽に、
強く共感せずにはいられないのです。
私は物事の中身そのものより、
その存在を許してしまう、
大きな愛のような、
いわゆるこの映画のような「空間」に魅かれるのです。
あなたの表現は、その「何も無い」スペースを使うことによる、
言葉を超えたメッセージに他なりません。
これはアメリカンヒーローのあなたに、
日の本の素性を明かされるようなものですが、
そのことに不思議と不快な感情は生まれません。
心の奥底で、世界は意外なほど近づいている、
という証拠かもしれません、
いや元から繋がっていたことに、
幼い我々がやっと気が付いたということでしょうか。
そしてお金も名声も手にしたあなたが、
言ってみれば無欲に、
このような作品を作り続け
ともかくも文化と呼ばれている形のない思想によって、
社会に貢献している様を見るのは、
末端の私にとって、大変な励みとなることは間違いないのです。








pheasant

  • 2012.05.27 Sunday
  • 11:46
久しぶりの徹夜明け、
このまま反転すればジェットラグへのよいシュミレーションに?。

小学生の頃、
母に連れられて、父の故郷である、
長野の伊那に一度だけ行ったことがある。
遠くにアルプスがそびえ立ち、
その手前の新緑の小高い山々の麓には、
中央高速が南北に凧糸のように延びていた。
私の記憶が正しければ、
農家を営むその父の生家には、
キンケイと呼ばれる珍しい鳥が、
観賞用として、確か二羽飼われていた。
キンケイはおそらく「金鶏」と書くのだろう。
姿形は尻尾がすらりと長く、
キジのそれに近いが、
オレンジと赤い羽根で覆われたその全身は、
眩しいくらい鮮やかで、
古びてくすんだ鳥小屋から、まさに金色の光が溢れ出さんばかりであった。
こんなに美しい鳥は見たことが無い、
この鳥が羽根を広げた姿はどれほど美しいのか見てみたい、
私はそう思わずにはいられなかった。
そう希望とはそんなある存在から喚起されることもある。

深夜の青山、
私の右隣でスネアを高速連打しているドラマーに、
羽ばたくキンケイがだぶる。
漆黒の東京上空を金色の光跡が静かに切り裂き、
やがて消えていった。



fade

  • 2012.05.25 Friday
  • 11:07
私の音楽のフィジカル的要素はゆっくり衰退して行くのではないか、
取り囲む物事はやがて無色透明になり、
時はやわらかな陽射しと穏やかな静寂に包まれる。
無論、肉体と精神の葛藤はしばらく鳴り止まず、
レジスタンスが最後の一人まで抵抗を続け、
クロスフェードは限りなく遅いテンポで進行していく。
そんな状況がしばらくは私自身を混乱の淵にとどまらせることに、
なるやもしれない。

混乱と葛藤の青山ルバロン、出演時間は深夜1時を過ぎる模様。

meta

  • 2012.05.24 Thursday
  • 13:22
キアロスタミの「トスカーナの贋作」、
こういう作品を見ると隠喩とは崇高な精神性だと感じずにはいられない。
ジュリエットビノシュは知的に枯れて、
素敵なおばさんになった。
リメイクの「ソラリス」、
人間は深淵の銀河そのものだ。

視覚からインプットされた刺激は、
しばらくの撹拌の後に聴覚へのアウトプットに放たれる、
が、ここしばらくのパターンに。
映画なしではちょっとキツい五月晴れ。

「不失者」の新作が先月リリースされて、いたらしい、
記憶では私が弾いている、はず。

一陣の風、
初夏にはまだ少し早い。

 

hit

  • 2012.05.22 Tuesday
  • 11:34
 肌寒い雨、
TVではダルビッシュとイチローが対戦している。

そういえば小学生の頃は野球も少しやっていた。
ボールやグラブ、バットもさることながら、
以外にも私はヘルメットが欲しかった。
まわりに誰も持っている友達がいなかったから、
目立ちたかったのかもしれない。
日曜日の午後、期待に胸を膨らませ、
近所のスポーツ用品店に母と買いに出掛けたのだが、
片田舎のスポーツ店に私の望むような、
気の利いた、耳当て付きの格好よいヘルメットなどあるはずもなく、
私はたいそうがっかりしたが、母にしてみれば、
どんなものでも買えば私が喜ぶと思ったのだろう、
つばの所が超狭い、まるで工事現場のおじさん達が被っているような、
どう控え目に言ってもぱっとしない、
はっきり言ってしまうと、
明らかに今まで見た中で一番格好悪い、
しかも水色の野球のヘルメットを
私は買うはめになってしまった。
「こんなのいらない。」とはっきり言えればよかった、
だが私の優柔不断はこの時からすでに始まっていた。
母と店員のおにいさんに勧められるまま、
しぶしぶ私はその格好悪いヘルメットの持ち主になってしまったのだ。

次の日曜日、
飛行機雲が長い線を描いている、
そんな快晴の空の下、
私は朝からそのヘルメットを試合に持っていくべきか、
いかざるべきか悩んだあげく、
家に置いてきぼりにする決断を下した。
こんな格好悪い物体を被っている姿をクラスの仲間に見られたら大変である。
そうなったらもう試合はおろか、
学校にも行けなくなる、そう判断したのだ。
朝っぱらからの重苦しい悩みから解放された、
不思議な安堵感に包まれながら試合は進んだが、
程なくして何回目かの守備において、
セカンドの定位置から、
ベンチに何やらぴかぴか青く光る丸い物体を発見する。
全貌は明らかにされてはいないが、
見た瞬間わかった。
それは紛れも無いあのヘルメットである。
なんと母は、私が忘れたと思って、
わざわざ届けにきたのであった。
私は恥ずかしさの余り、顔面から血の気が引くのを感じ、
もう試合どころではなくなり、
チェンジになったとたんに一目散で家に帰りたい心境に駆られたのであった。

と、しかしながら展開は意外な方向に進む。
一番の中のよかった級友が、
「えー、これお前のかよ、カッコいいべ。」
とそれを被って打席に立ったのである。
そして彼はその打席で逆転のヒットを放ち、
それ以後、我がチームは私を除く全員が、
その青いヘルメットを被って打席に向かうことになり、試合は快勝。
一躍、ヘルメット君は勝利の立役者となったのだ。
それ以来、試合のたびに私がそのヘルメットを被るようになったのは言うまでもない。

時に人生は思わぬ展開を見せるもの。
子供ながらその不思議さ故に出た深いため息を、
私は今も忘れることが出来ない。







ring

  • 2012.05.21 Monday
  • 14:36
我が家の玄関先、朝から騒々しく隣りの母娘、
といっても娘さんは私より10才は年上だろうが、
はしゃぐとまではいかないまでも,
期待を膨らませた声と共に、
小窓の外の影が右往左往している。
どうやら小さな集合住宅のいっかく、
我が家の玄関先の狭い階段の踊り場は絶好の観測ポイントらしい。
楽しげな雰囲気に誘われて出てみると、
彼女はご主人が大阪出張の時に買ってきたという、
観測用の四角い黒い眼鏡をやや自慢げに見せながら、
彼女の母にかけるよう勧めていたが、
どうやら母の方はあまり乗り気ではないらしく、
鈍く光る雲間の太陽から背を向けて、
娘の話にただ頷いている。
きのう渋谷でめがねを買い損ねた私は、
朝の挨拶もそこそこにそれを借りるや、
ラッキーなどと心の中で呟きながら、ちゃっかり空を見上げる。
それからいよいよ7時半も過ぎて、
反対隣の老夫婦や隣の造園業を営む家のおかみさんらしき女性も上がってきて、
踊り場はさながら町内会の集会の様相を呈し、
我が家のシンボルであった鉢植えの宿根かすみ草は、
すっかり立場を無くして風に揺れている。
金環日食は確かに黄金色のエンゲージリングのようだったが、
あんなに小さくては小指にも入らない、などと思いながら、
後何十年後か、
私も階段の踊り場で微笑むジジイになっていたい。







informazioni

  • 2012.05.20 Sunday
  • 11:38
お知らせ。

5/30の「 teneleven @元住吉Powers2 」は,
ドラムスの山本達久くんが怪我のため、
急遽、4月の新宿ピットインでゲスト参加していただいた
中村達也さんにピンチヒッターをお願いすることになりました。
山本くんの怪我が一日も早く治って、
次回、元気に戻ってきてくれることを心から祈っております。
tenelevenはさらに前進していきます。
皆様、引き続き応援宜しくお願い致します。


genmma

  • 2012.05.19 Saturday
  • 14:06
時計が夜の10時を過ぎると、
父は茶色の三人掛けのソファの真ん中にどっかり座り、
ハイライトの茶色いフィルターの根元半分の所を噛み締めながら、
両膝に両腕を乗せ、
乗り出すような姿勢でTVを見る。
特にプロレスやマカロニウエスタンを見るのが好きで、
いくつかのささやかな楽しみの中でも、
どうやらそれらは譲れない日課であるらしかった
プロレスにおいては完全にブラウン管の中に入り込んでいるものだから、
猪木がブレーンバスターやドロップキックを、
ジェットシンやアンドレザジャイアントに見舞うたび、
その体は前後に揺れて、
安物の我が家のソファは必要以上に沈み、
煙草の灰は絨毯にこぼれた。
ジュリアーノジェンマが主演の西部劇では、
自分が主役に乗り移っているらしく、
意味も無く、大声で「アメリカーノ!!」と時々叫びながら、
私にヤニ臭い息を吹き掛け、そのあと美味そうに安い番茶をすすっていた。
厳しかったが明るさを失わない所は、
まさに典型的で平均的な昭和の父親であったように思う。

父の死後、母に言われるまま書斎を整理した。
戸棚の中から大量の農業に関する研究雑誌や資料が出てきたが、
そのほとんどは父の書いた書物だった。
いなくなって初めて、
私はそこに父ではなく、
仕事をする男の姿を見ることになった。
そこにはプロレスと西部劇の父の面影は無く、
緻密な観察や研究から導き出されたらしき見なれぬ専門用語が、
力強く整然と並んでいた。
仕事に生き、家庭を守るのが男の務め、本懐だとして、
その基準を父とするならば、
今の私はとんでもなく中途半端な身なりに見える筈である。
きっとあの世から父は私にドロップキックを見舞い続けているに違いない。












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